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2010年5月20日
~鹿男あをによし、鹿せんべい喰われるもよし~ フードミステリー
ゴールデンウィークに異変?? 今年の連休は、鹿もお休み??

午前中から鹿は山に帰って、公園にはほとんどいないという珍しい光景が見られた。
連日詰め掛ける観光客からの「鹿せんべい」の過剰サービスに、食傷して山に避難したという。
「鹿せんべい」のお店員は、半ば呆れて「鹿が居ないので、商売にならない」とこぼしていた。
鹿の居ない春日大社... せんとくんも不思議に思ったことだろう


■奈良観光というと、代表する名所である「なら公園」に連れて行かれ、つい「鹿せんべい」などを購入して歩いていると、夥しい鹿が寄って来て困った青年期の体験を持つ読者もいらっしゃるに違いない。

なぜ奈良では鹿が御神体となっているのか?は、そこを訪れた方なら記憶がおありだろうか。奈良といえば春日大社。その主神は常陸の国鹿島神宮(現茨城県鹿島郡)から白い神鹿に乗って飛んでやってきた武甕槌命(たけのみかづちのみこと)だとされ、奈良の鹿はその神鹿の子孫という伝説に由来する。

白い神鹿というと宮崎アニメを代表する『もののけ姫』のシシガミ様とオーバーラップする。山に住む鹿はかつて縄文系の狩猟民族にとっては生活の糧で、肉だけでなく、毛皮や角も利用できるため重要な狩猟の対象になっていた。それだけに乱獲や自然破壊から守るために鹿を神としたのかもしれない。農耕時代は、鹿の肩甲骨は占いにも使い、神事には鹿が生贄として捧げられたりもした。


■縄文時代中期~後期にかけて
の限定された時期に、西日本の一部、そして北海道から東日本の広い範囲でストーンサークルの文化が花開いたことが知られている。

鹿石の見られる地域(「鹿石」とは高さ2mほどの立石に鹿の絵が刻まれているという)。時代は、今から3,000~4,000年前のものだといわれているが、明確な時代特定は判然としない。その地方には、「天界の狩人が3頭の大鹿とその小鹿を連れて天上に飛び去った。」という伝承があり、鹿は鳥と結びついて、天と地を行き来する存在として語られる。
興味深いのはこうした鹿石がしばしばストーンサークルの一部として現れるという。

(佐々木 倉之助)


2010年4月21日
~全国「桃太郎伝説の謎」に迫る!~ フードミステリー

以前、古代に犬・猿・鶏の肉を食することを禁じる法律が、桃太郎のお供達と一致することに触れた・・・・・・。

■2001年6月、鳥取県・青谷上寺地遺跡で、弥生人の脳が良好な状態で出土。楕円形の祭祀跡から、桃の種23個も動物の骨と一緒に出土。桃の種が祭祀場から発見されたことで,桃が弥生時代から中国・神仙思想の影響を受け,神聖な果実だったことを裏付けた。(桃の種を横穴式石室の入り口に置いた)桃は邪鬼を払う神聖な食物だったらしい。

■古墳時代の話(3世紀半~7世紀末までの約400年間を指す。中国→三国志、西洋→ローマ帝国、中南米→マヤ文明)、岡山県吉備津神社の縁起物語では、地域を荒らし鬼ノ城に住む「鬼」=温羅(ウラ)を吉備津彦とその弟=稚武彦=(※以下ワカタケヒコノミコと記す)が、犬飼健(イヌカイタケル)・楽々森彦(ササモリヒコ)・留玉臣(トメタマオミ)という三人の家来と共に倒し、その祟りを鎮めるために温羅を神社の釜の下に封じた。※「温羅」は吉備国を支配する豪族に製鉄技術を供与した渡来人。岡山は現代でも「きび、桃、鉄」の産地で知られ、鬼ノ城の東麓に日本最古級の製鉄遺跡がある。

■香川県(讃岐うどん誕生の祖・空海の故郷)讃岐国。讃岐桃太郎伝説では、海賊に讃岐を襲われた孝霊天皇の皇女が対岸の吉備の国に進攻していた吉備津彦の弟=ワカタケヒコノミコトに助けを求めたことが、桃太郎伝説となった。(犬-犬島の住人、猿-猿王の住人、雉-雉ヶ谷の住人)とされる。鬼ケ島=「女木島」(香川県高松市)の説。高松港から船で20分ほど。鬼は、「女木島」の岩窟を住居とし沿岸各地に出没、暴威を奮っていた人面獣心の海賊だったとも。


  • 愛知県・桃太郎神社の所在は木曽川国定公園・袋山(フクロヤマ)の麓。ここに、桃太郎の墓、家来の犬、猿、雉が眠る墓も在る。神社の看板には、桃太郎は孝霊天皇第八皇子のワカタケヒコノミコトであったと記される。愛知県・桃太郎伝説の詳細は・・・・鬼ケ島は現在も可児川の川中にあり(名鉄広見線可児川駅の手前)電車の窓から見えるようだ。現在の犬山城から三キロ山奥。洗濯に行った川の名前は本津川。実は、洗濯に来たのは老婆でなくて娘で、船で通りかかった桃太郎=ワカタケヒコノミコトが彼女を見染め、この地に根を降ろした。犬山市、猿洞、猿渡、堆ケ棚、鬼ケ島の地名が残る。

  • 岩手県・桃太郎は、花見に行った時に拾った桃から誕生。地獄の鬼に日本一のきび(イネ科の植物)団子を持って来いと命じられ、地獄へ行き鬼が団子を食べている隙に地獄のお姫様を救い嫁にする。

  • 福島県・桃太郎も山向こうの娘を嫁にする。

  • 中国・西遊記の話には川から幼少期の三蔵法師が流れてくる節。

■勇敢な男子「桃太郎伝説」の秘められた暗号とは、大和朝廷・祟神(すじん)天皇の時代、武器製造や祭祀(さいし)に必要な青銅・鉄(金属や貴石まで)を奪取する為、孝霊天皇第八皇子「ワカタケヒコノミコト=文字通り幼げで勇敢な兵士=桃太郎」を、神聖な儀式を執り行う祈祷師であり水軍族のプロジェクト・リーダーに抜擢し、製鉄技術、精錬技術を持つ「渡来人」と闘い、平定した史実と見ることが出来る。その為、海や川、金属の産地に残るお伽噺となった。岡山県は鉄の産地、愛知県・犬山市は銅の産地。そして、英雄の動物、サル、キジ、イヌの食肉禁止令を出したかもしれない。桃は百(もも)にも由来し、大勢の水軍武士団だったような節もある

■以前語った「焼畑農法と水田稲作文化の闘いを、ヤマトタケルノミコト名を象徴として侵攻とした武勇伝」と類似。


  • 桃太郎神社(愛知県)桃太郎祭は五月五日(子供の日)桃太郎に扮した子供達によって行われる。桃型の鳥居をくぐれば、悪は去る(猿)、病は去ぬ(犬)、災いは来じ(雉) という「桃」が持つ神秘のダジャレ?が今も残る・・。

参考:香川県=古銅輝石、岩手=南部鉄(鉄の産地)、福島県=鉄鉱 黄銅鉱の産地。
参考文献:古代史の扉(佐々木 倉之助)


2010年3月23日
~埴輪の馬っていずこから来た?~ フードミステリー

先ずは古代の動物に関して:
魏志倭人伝によると、倭にいない動物として牛・馬・虎・豹・羊・鵲(カササギ)を挙げている(一方、牛・馬は居たと主張する歴史研究家も存在)。

中新世の地層や沖積層の地層から馬の化石骨の出土はあるが、明らかに縄文、弥生時代の馬と推定できる馬骨の出土は一例も無く、ずっと古い時代に在来種が存在したが、縄文・弥生の頃、日本列島に馬は棲息していなかったとされる。魏(ぎ)国(=中国)の使者にも牛馬は見止められなかった。日本各地に、縄文時代の遺跡から牛の骨や歯が出土した例はある。これらは野生牛で、狩りの獲物となり食された。縄文時代は、野生牛を家畜化した痕跡はないらしい。弥生時代には家畜化された牛骨が発見され、この牛は中国牛の系統で、中国から連れて来られたとされる。

日本は古代から近代まで牛や馬などの肉食を何故か禁じた。中国や朝鮮では肉食を禁止していないから、不思議だ。古代日本人は元々それらの肉を食べていた。しかし、日本書紀・天武天皇紀に、「牛馬犬猿鶏の肉を喰うことを禁ず...」と出ている。牛・馬は使役動物である為、むやみに食することを禁じたのは理解できるが、犬・猿・鶏の肉を食べてはいけないという理由は、釈然としない。偶然にも、これらの動物は何と!「桃太郎」のお供をした動物だ。


馬の歴史に関して:
古墳時代(4世紀以降)、日本に持ち込まれたという、野沢謙氏が提唱する説が有力で、彼は現存する東アジア在来馬の血液蛋白を指標とし遺伝学的解析をおこなった結果、日本の在来馬は古墳時代に蒙古系馬がモンゴルから朝鮮半島を経由し、九州に家畜馬として導入されたものが起源であると主張する。体高の違いは飼育環境条件と人為淘汰作用によるもので、実際、血液蛋白の解析では、全ての日本在来馬及び東アジアの在来馬は、蒙古馬ときわめて近いことが認められた。一般的歴史学の定説でも、3~4世紀の古墳時代に「大和朝廷」が朝鮮半島に進出した時に、朝鮮から移入。南中国(呉)から来た崇神天皇や加耶国から来た応神天皇のときに、大量の渡来人が来て、倭にも馬が飼われ、もっぱら戦闘時の兵器として用いられたものと考えられる。


反論:
私たちの身近な県・埼玉県「さきたま古墳群(行田市付近を中心とした古墳群は日本最大級規模)」から、馬用の甲冑が沢山出土している。馬の数、古墳の数は、大和朝廷文化圏よりも多そうだ。昔の歴史は塗り替えられ始めている。30年以上前に小中学校で日本史を学んだ年代には、誠にチンプンカンプンな内容である。奈良・大和地方、関西圏が文化の中心地=古墳時代の概念は、大きく覆された。
できれば次回、その「さきたま古墳文化圏」の謎を解きたい。


(佐々木 倉之助)
※参考文献:「新説・日本の歴史第31弾」、「日本史の中の動物」井上友幸 他


2010年2月23日
~ヤマトタケルの熊襲征討は大産業革命の始まりか!~ フードミステリー

ヤマトタケルの熊襲征討は、大産業革命!の始まりである。
読者がご存知の歴史中の熊襲(くまそ)は、日本古代史に登場し、南九州に本拠地を構え、ヤマト王権に抵抗した一族名であり、地域名とされるのが一般的解釈だろう。
しかしながら、衝撃的な解釈を私は掴んだ。元明治大学商学部名誉教授:一泉氏は、熊襲(くまそ)が単なる一族名ではないことを、意外な角度から証明してみせた。
その意味とは、くまそ=焼畑文明を指し、ヤマトタケルとは水田文明であり、その争いは、焼畑(=粟)を水田(=稲作)が駆逐する、血生臭い産業大戦争、大革命であったことが想像できるだろう


■古代インドネシア語を用いて展開され・・・
香川・和歌山では、焼畑で栽培されている「そば」は、インドネシア語のコバル(kobar燃え上がる)に由来し、「おかぼ=陸稲、開拓耕地、畑」をフマ(huma)と呼ぶ。台湾原住民の言葉で(homa)ピュマは焼畑をする民のことも表す。これら、コバ、フマがクマとなり熊襲のクマは「畑作」あるいは「焼畑作」を意味するという。
一方、熊襲のソは人のこと(tao/tauは族などの意味が台湾原住民の言葉に確認される)熊襲=クマソは焼畑をする人となる。だが、焼畑をする人々は日本全国に散在していた。稲作は、縄文最末期には既に始まっていて、縄文畑作文化のアワと弥生稲作文化のイネは、相互に補完する食物として成立していたが、ヤマト勢力を強めていく支配体制を確立させるには、競争財になっていく。つまり、稲作文化を、全国の畑作・焼畑文化を圧倒し侵略した「弥生時代の古代産業革命」と、一泉氏は語る。


■ヤマトタケルの伝説:九州に入った小碓命(=やまとたけるを名乗る前)は、
熊襲建の新室の宴に美少女に変装して忍び込み、宴たけなわの頃を狙ってまず兄建を斬り、続いて弟建に刃を突き立てた。誅伐された弟建は死に臨み、その武勇を嘆賞し、自らをヤマトヲグナと名乗る小碓命に譲って倭建(ヤマトタケル)の号を献じた。その後、ヤマトタケルの侵攻(産業革命の戦争)は、愛知県、静岡県から茨城県~宮城県の方まで続いた。
※参考文献:明治大学商学部名誉教授・一泉知永氏「倭国大乱と弥生文化革命」、「沖縄のくらしの文化」

文:佐々木倉之助


2010年1月20日
~忍術は飛鳥に始まり、平安に完成していた!~忍者シリーズ 第2弾

前話「忍者はベジフル食がお好き」内で、忍者を初めて用いたのは蘇我馬子と聖徳太子であることを報告した。では「忍術のはじまりは?」と、探偵局は更に深く調査した。頼朝も、ひらたく言えば忍者の系統だったのだ!
忍術の歴史は仏教と共に六世紀(583年頃)に伝来した兵法書内「兵は危道なり~智略は正道で王者の道である」を元に忍術が生まれた説が有力だ。その忍術に欠かせないのが修験(シュゲン)であり、修験行者といえば山伏だ。彼らは杖術を基本に山伏兵法・武術を編み出し、後に剣術・槍術へと進化していったのだ。

「忍者は修験者・山伏説」:続日本紀参考では、姓は役(エン)で、名を小角(オヅノ)という仏教信者で修験者の頭領(賀茂氏系)で、彼は、伊豆島に流されても昼は伊豆、夜は富士山に戻って修行した伝説の呪術師がキーパーソンのようだ。探偵局は、遣隋使(飛鳥時代:600~618年、小野妹子など)が持ち帰った兵法書に始まり、山伏たちが熟成させ、平安時代の陰陽師たちにより完成される流れを支持したいと思う。
※江戸時代の冒険活劇小説、滝沢馬琴・作「里見八犬伝」でも、役小角をその犬士たちの先祖とする・・・。

■遣唐使(630~894年まで実施)たちの影響も大きく、唐から帰国した空海(真言宗・高野山)・最澄(天台宗・比叡山)によって、近畿圏の山伏たちは二派に分かれて両山を守護。さらに政治にも登用された賀茂氏が宗祖の陰陽師(安部晴明は弟子)諸術を取り入れ、山伏兵法は完成度を増した。中でも、後に鎌倉幕府を開く「源頼朝」を輩出する修験流派「鞍馬八流」には、源氏の祖・八幡太郎源義家をはじめ、源義光、源義経、源頼光(=大江山の鬼を退治した)らが挙げられ、日本の歴史の表舞台で国を支配したこともあった。

■「甲賀の里」に飯道(ハンドウ)山がある。ここは天台宗の三大修行道場のひとつとして栄え、彼らは全国を行脚し各国の情報を集め情報交換を行った。山伏修験者の情報力は各地戦国大名ともつながり、時代の流れを知る現在のITネットワークのような最先端基地だったと推測される。情報をビジネスとし殺しも請け負った。

■「伊賀の里」は、地理的にも甲賀に相当近い。伊伊賀流忍術の祖・服部平左衛門家長は壇ノ浦合戦で戦死したと見せかけ生き延びて、室町将軍・足利義晴に仕えるため京へ移住。さらに織田信長との大激戦「天正伊賀の乱」を経て、三河・松平清康(=徳川家康と関係)に仕える。ここで服部半蔵正成が出生。初代服部半蔵は伊賀出身ではない。実は、半蔵に二代目もいた。皇居の半蔵門の由来は二代目半蔵とする。

「忍者の呼ばれ方雑学」:忍者のことを何故「忍び」というのか。古くは「志能備」と呼ばれ尊重されていたが、戦国期になると、ラッパ・スッパ・トッパ(乱破・透破・突破)などと呼ばれる。マスコミ用語の「スッパ抜く」はこれに由来するだろう。概ね関東地方でラッパ、関西地方はスッパ、別名ではクサ(草)、カギ(嗅ぎ)が挙げられる。

「忍者は毒物使用の達人」:トリカブトは附子(ブス)と呼ばれ日本古来、狩猟に使われた毒物である。忍者もよく用いた。これを飲むと中枢神経を冒し醜くなったことから「ブス」という呼び名が残り、またトリカブトは草であることから忍者を草という説もある。江戸時代、八代将軍吉宗が将軍職に就けた理由には、連続薬殺事件無には実現できない話である。今さらだが、甲賀を正しくは「こうか」と読む。


出典参考:「甲賀忍者と伊賀忍者」webサイト他
筆:未過喰探偵:佐々木倉之助

■忍術発祥諸説
1)中国の遁甲術(トンコウジュツ)説=星占いの一種。起源はインドのバラモン仙術。
2)始皇帝の特命で不老長寿薬を求め来日した「徐福」説=熊野新宮に上陸し医療織物等と共に伝来。
3)日本起源の別説=大伴氏の遠祖・道臣命説


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